竹林の屋敷

当ブログでは日本語が使用される。

あらゆるものを愛するのだ! と思った日のこと

ある日、地球上のすべてのものを愛しつつ生きよう、という決意をした。その時のことを記そうと思う。

 

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その日、私は鬱屈していた。出先から帰る夜道であった。人の幸せや世の中の不平等さについて考えては、世界の在り方に対して違和感を覚えていた。考えてもしようがないとは分かっているが、考え始めると止まらなくなるのだった。歩きながら、私の心は泥沼へはまっていくようだった。

 

このまま家に帰ってはより内省的になり精神がやられることは自明だった。アパートの部屋の扉を開けるまでにどうしても心を晴らしておく必要があった。鬱屈したときはうまいものを食べれば気持ちが上向くと相場は決まっている、そう思った私は某牛丼チェーン店に入った。

 

牛丼店に入ったは良いが、その時の私の思考は「動物たちの命を奪ってまで生きる価値が俺にあるのか?」というようなところにまで至っていた。家畜の牛に生まれたという巡り合わせだけで殺されて食われるのはおかしいんじゃないかと頭を悩ませていた。考えるだけ無駄なことなのだと分かっているのだが、こうした、不条理に思われることについて私はたびたび考えてしまうのであった。

 

そういうわけで、牛丼や親子丼を食うのは少し憚られた。カレーを注文した。ビーフカレーである。牛入ってんじゃん、と思う。思うが、小さいのでましだった。「いただきます」といつもの10倍心を込めて唱えた。

 

うまい、と思った。牛はうまかった。うまいと思ったことが嫌だった。牛の命をいただき、うまいと快楽を得、その一方で私はただただ無為な日々を過ごしていることが嫌だった。要するに、「私には生きる価値と奪う権利があるのか?」という問いが頭を渦巻いていた。そして、答えを指し示す羅針盤は、否定の方向に切られているのだった。

 

私には生きる価値があるのか? 泥沼から抜けた今は、これほど野暮な問いはないと思う。そもそも価値基準が不明だからだ。しかし思考の泥沼にはまると、そんなことを考えてしまうのであった。鬱屈したときはうまいものを食えばいいと思っていたが、牛を食ったこともマイナスに働き、当時の私は、とても危ない状況にいた。

 

いかに私がこの泥沼から抜け出したか? 考え抜いた結果、私は愛に行き着いていた。奪った分だけ与えればいい、そんな安直なことではないのだろうが、世界のあらゆるものを愛し、感謝を胸にたたえながら生きることが、できる最大限のことであり、ほとんど唯一のことにも思えた。汝、隣人を愛せよ。と聞こえた。

 

これはかなり身勝手な解決である。牛も愛しているなら殺して食うなよ、という話だが、「それは仕方ないじゃん」と思えていた。身勝手な話だ。しかしその実、みんな身勝手なのだ。根本的な解決にはならないが、心は軽くなった。この急場しのぎを続けていればいつか私も死ぬのである。我、隣人を愛すべし。と唱えた。

 

実行に移そうと思った。私から最も近い人間は、何やらキッチンで作業をしている、学生バイトと見える青年であった。さぁ、愛し、労わるのだ。と聞こえた。いざ実行しようにも、直接言うのは少し気恥ずかしかったし、野暮だと思った。「ありがとう、お疲れ様」と言うだけでは工夫がない。何かないかと考えた。もっと、私に合っていて、ウィットに富んでいて、心安らぐような愛の表現はないかと。

 

思案の後、目の前にあるカレーの空き皿を見た私は「これだ」と思った。「これだ、これは超おもしろいぞ」と思った。作戦はこうだ。皿に残ったカレールーをスプーンでちょろりと弄り、「乙カレサマ」という文字列を完成させる。私は(会計は前払いなので)、そろりと退店する。空いた皿を下げに来た店員は、「乙カレサマ」を見てほっこりする。

 

繰り返すが、とっても身勝手である。ルーのだしとなった牛への冒涜であるのでは? という考えが頭をかすめる。しかしその時の私は店員への愛に燃えていた。皿下げなぞ適当に済ますのだから「乙カレサマ」を見ない可能性が高いのでは? という考えが頭をかすめる。しかし、その時の私は店員への愛に燃えているのだ!

 

「乙カレサマ」を完成させ、満足感たっぷりで店を出た。非常に軽やかだった。私は愛を与えたのだ! 路上の酔っ払いをも優しい気持ちで見れた。愛だよ、愛、と心から思った。ほとんど悟った気分だった。地球上すべてのものを愛そうと思った。部屋に帰った私は、気持ちよく床に就いた。あらゆる人を、動物を、植物を愛そう。これが、私の哲学だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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翌朝、歩道を広がって歩く通行人たちに憤っていたことは言うまでもない。

 

 

 

 

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